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雄大にして繊細さを兼ね備えた「浜野ゴルフクラブ」
浜野ゴルフクラブの沿革
昭和58年9月
株式会社日東興業が全株式を保有する株式会社國際友情倶樂部は、縁故募集に続き第1次募集開始、その後第2次、第3次募集を行なう。当初の募集条件では、最終会員数を1530名とするとされた。
昭和59年12月
18ホールのゴルフ場正式オープン。以後日東興業の看板コースとしてハイレベルなゴルフ場経営で注目された。
昭和61年10月
第4回富士通レディーストーナメントを開催した。(優勝者樋口久子)
以後同トーナメントは第15回(平成9年)まで連続して毎年当ゴルフ場で開催され、数々の名勝負が繰り広げられた。
昭和62年7月
第55回日本プロゴルフ選手権大会を開催した。(優勝者デビッド・イシイ)以後、平成5年関東オープンゴルフ選手権競技大会、平成7年、8年日米大学対抗ゴルフ選手権の各大会を開催した。
平成9年12月
親会社の日東興業株式会社が東京地裁に和議手続き開始の申し立てを行い倒産した。
平成10年3月
ゴルフ場の安定的利用が害される恐れを抱いた有志会員が「浜野ゴルフクラブの再建を考える会」を結成した。
平成13年11月
親会社日東興業はゴールドマン・サックス証券会社との間で、和議条件を基本とする日東興業グループ再建の支援を目的とした契約を締結。
平成14年7月
国際友情倶楽部は日東興業グループ11社と共に民事再生手続き開始の申し立て、同8月2日に開始決定。
平成15年2月
東京地裁が国際友情倶楽部について会社更生手続き開始を決定した。
平成18年4月
更生計画案は圧倒的多数で支持されて認可された。これにより、完全株主会員制によるゴルフ場として再建の道を歩み始めた。
平成26年5月
開場30周年記念行事を開催。多くの会員によって盛大に行われた。
平成29年9月